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岡山地方裁判所玉島支部 昭和41年(ワ)26号 判決 1969年9月26日

原告

平井治雄

外七名

代理人

長谷川裕

被告

栗山精麦株式会社

代理人

笠原房夫

主文

被告は原告柚木利喜太に対し

金二〇七、五三三円

原告清水功に対し

金一二五、六九四円

原告磯崎浜雄に対し

金一〇二、六三〇円

原告江尻小一に対し

金三一、九八五円

原告松浦巌に対し

金二七、八三九円

原告丸山高重に対し

金四二、四〇五円

および右各金員に対する昭和四一年二月一日から右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告平井治雄、原告柚木実の請求、その余の原告らのその余の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用中原告平井治雄、同柚木実のみに関して生じた費用は同原告らの負担とし、その余の費用は五分しその四を被告の、その余を原告らの負担とする。

この判決は原告柚木利喜太において金七〇、〇〇〇円、原告清水功において金四〇、〇〇〇円、原告磯崎浜雄において金三〇、〇〇〇円、原告江尻小一において金一〇、〇〇〇円、原告松浦巌において金九、〇〇〇円、原告丸山高重において金一四、〇〇〇円の担保を供するときは、これを供した原告は第一項に限り、かりに執行することができる。

事実《省略》

理由

一原告らが別表の入社日欄記載の日に被告会社に入社し、同表退社日欄記載の日に同社を退職したものであることは当事者間に争いがない。

二<証拠>によれば、被告会社は従業員数約三〇名ほどの個人会社的な企業であるが、その発足時の昭和二四年には退職金の定めはなく、昭和三四年に被告会社の社長栗山好幸が妻と相談してはじめて退職金の基準として「1三年以下の勤続年数については支給しない。2勤続四年目からは毎年度、その総給与から賞与等を差引いた額の平均月額を加算したものとする」定め、従業員にも公表したこと、そして入社、賞与支給、退職者が出た場合等に社長の栗山好幸がこれを説明することがあつたこと、しかしその基準は書面にされず、書面にされたのは昭和四〇年一月ごろ被告会社の社員の訴外遠藤昭二が、メモにもとづいて昭和三九年一二月三一日に栗山好幸が従業員に説明した退職金の内容を書面にして工場内通達綴にとじこんだのがはじめてであること、ところで昭和三九年一二月三一日に栗山好幸は昭和四〇年一月一日から適用されるべき退職金の基準として「年令五五才以上の者には勤務年数から三年を差引いた年数に一ケ月の賃金を乗じた金額を退職金として支給する旨定め五五才以下で本人の都合による退職については決定次第公表する。決定するまでは支給しない」との規定に変更されたことそして昭和四一年八月一三日にこれが書面化され社長および出席の全従業員が右規定をもつて退職金の定めとすることをそれぞれ承諾したこと、しかしこれらの規定は被告会社の就業規則にはいれられなかつたこと、が認められる <証拠判断省略>。 <証拠>によれば、昭和三三年から同三九年ごろまでの間に被告会社を退職した者には、訴外阿藤虎一、同6柚木正義、同栗山浅吾、同山本たけし、同白井止次郎、同唐井靖江、同赤沢(渡辺)朝子らがあるがこれらの者はいずれも退職金の支給を受けたこと、右唐井靖江、同栗山浅吾、同赤沢朝子らの退職金は、前に認定したところの被告会社の主張の基準によつて算出したものに社長心付の特別退職金を加味して支給されていることが認められる。もつとも<証拠>によれば、訴外栗山繁昌はもと被告会社の取締役であつたが、昭和三七年一〇月被告会社を退職し、退職金の支給を受けたこと、その退職金は退職時の月給に勤続年数(端数切捨)から三年を控除したものを乗じて得られる金額に社長の心付を加算したものが支給されているが、これは取締役としての特例であつたことが認められる。<証拠判断省略>。

右事実によれば右退職金規定は被告会社の就業規則なる書面上にはないが、退職金は社長の心付の給付金を除けばその算定の基準は明確であり、かつ昭和三四年から昭和三九年にかけてこれに従つたやり方で支給されていた実績もあるうえ、社長の説明により従業員に十分告知されていたことからすれば、右規定は被告会社の就業規則としての性格を持つものと認められる。

しかもその定め方が一ケ月分の平均給与の積立方式であるから、その退職金は労働に対する対価として支払われるものであつて労働基準法上の賃金であり、したがつて被告会社主張のように使用者の恩恵的な給付金の基準であるとの見解は採用できない。

三被告会社は昭和三九年以前の規定は円満退職者以外には支払わない旨の定めであつたと主張し、これに添う<証拠>があるが、これは被告会社代表者が自認するように文書上明確にされていず、しかも上記証拠によつてはその規定が退職金規定が定められたと同時に定められたものとは認め難く<証拠>と対比するとむしろ退職者が出るときに、被告会社代表者が勝手にやめる者には退職金を支給しないといつていたにとどまるものと考えられる。

したがつてこれが拘束力を有するか問題であるが、かりにこれが拘束力を有しうる定めとみられるとしても<証拠>によれば右条項を作つたゆえんは、従業員が会社の都合も考えずにやめるときは、仕事に支障を来すことになるからであることが認められるところ右条項を有効と認めることは即ち退職金をもつて労働契約の債務不履行についての損害賠償にあてることに帰着し、これは労働者保護の労働基準法第一六条、第二四条に反することを是認することになるのであるから、かりに右定めがあつたとしても右の法律に反するものとして無効といわねばならない。

したがつて、その余の点につき判断するまでもなく、円満退職でないから退職金を支払わないとの被告会社の主張は採用できない。

四被告会社は昭和四〇年以降の退職者には退職金規定の変更により五五才以下で本人の都合による退職者については、新に退職金規定が定められるまで支給しないと主張する。

しかしながら原告らのうち昭和四〇年以降に退職した者は昭和三九年以前から勤務する者であつて、昭和三九年以前の退職金規定によつて退職金を受ける権利を取得していたものであり、それが昭和四〇年における新規定の施行によつて五五才以下の場合に自己の都合による退職であるにせよかかる権利を失うものと考えるべきかであるが、右規定の変更は何ら合理的な理由が認められずまた原告らがこれを承諾したとの主張立証がない本件にあつては右規定の変更によつて原告らは昭和三九年以前の規定による退職金請求権を失わないものと解すべく、これに反する被告会社の主張は採用できない。

五次に被告会社の時効の抗弁につき判断する。

原告らの退職金は、労働基準法第一一五条にいう賃金にあたると解するべきであり同法第一一五条の適用によつて二年で消滅時効になる。

(一)まず原告平井について検討する。

同原告の退社の日が昭和三七年六月二五日であることは当事者間に争いがない。

原告平井治雄の本人尋問の結果によれば退職後、二、三回会社へゆき、また七、八回も連絡したところ、のちほど連絡するとの返事があつたと供述しているのであるが被告代表者の本人尋問の結果と対比すると、二、三回会社へ行つたところは認められるが、退職金の存在を被告会社が承認していたとは認めることはできない。

そうだとすると、時効の中断事由を認めることはできないから、原告平井の退職金は昭和三九年六月二五日の経過によつて既に時効により消滅したといわなければならない。

(二)次に原告柚木実について検討する。

原告柚木実が昭和三九年二月一〇日に退職したことは当事者間に争いがない。

<証拠>によると、昭和四一年一月ごろ、原告柚木実が原告丸山高重を通じて被告会社に対し退職金の請求をしたことが認められる。しかしてその時期は<証拠>によれば一月の初めであると認められるが、そうだとするとその後の原告柚木実の調停申立が同年七月一九日であることは当事者間に争いがないところ、その間には六ケ月以上の月日の経過があるから右請求は時効中断事由とはならない。

しかして原告柚木実は被告会社が右請求の際退職金債権を承認したと主張し<証拠判断省略>ほかに右承諾があつたことを認めるべき証拠はない。

そうすると、原告柚木実の退職金請求権につき何ら時効中断事由は認められず、したがつて昭和四一年二月一〇日の経過によつて時効消滅したといわねばならない。

六よつてその余の原告について退職金の計算をするに原告らの入社および退社の日は当事者間に争いがなく、また原告らの給料は<証拠>によつて別紙計算表の給与の数値と認められるので、これらの数値によつてすでに認定した昭和三九年以前からの規定によつて計算すると原告らの退職金は別表の認容退職金額欄記載のとおりとなる。

七そうすると原告平井治雄、同柚木実の被告会社に対する請求は理由がないからこれを棄却することとし、その余の原告らの被告会社に対する各請求は別紙計算表の退職金額欄記載の退職金およびこれに対する原告らの退職後の日である昭和四一年二月一日から右支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。(浅田潤一)

別紙計算表<省略>

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